shojiの伝統産業を巡る旅

名古屋の学生、shojiが各地の伝統産業を徘徊してます。

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一旦本島に帰り読谷へ。座喜味城城跡

久米島から宮古島へは一旦本島に戻り、那覇空港から飛行機を使うしかありません。

というわけで再び本島に戻ってきたので、読谷山花織を見に行くことにしました。
読谷山花織についてはこちら

読谷山花織は読谷村伝統工芸センター読谷村歴史民俗資料館で見ることが出来ます。

読谷村伝統工芸センターでは研修生による新しめの花織を見ることができ、読谷村歴史民俗資料館では古い読谷の織物、花織の裏地に紅型が袷てあるものも見ることができます。

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こちらが読谷村立歴史民俗資料館。残念ながら館内の織物は撮影禁止でお見せすることはできませんが、この建物の隣りにある「座喜味城城跡」が見事だったので、今回はそちらを紹介します。
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[ 2011/03/31 22:45 ] 読谷山花織 | TB(0) | CM(0)

久米島、さらば!

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久米島出発前日の朝と出発当日の様子。

お世話になった久米島の景色です。キャンプ場のある奥武島から久米島に架かる橋とそこからみる遠浅の海はいつも見入っていました。

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この橋を渡って久米島と奥武島間を行ったり来たりしていました。奥武島との位置関係はこんな感じ。


大きな地図で見る
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奥武島と久米島間の橋が架かる前は竹馬を使って学生たちは通学していたそうです。いまはwikipediaによると島民は30人余りだそうです。

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晴れた日はとても海がきれい。

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そういえばすっかり有名になってしまった「オーハ島」は奥武島の隣り。潮が引けば歩いて渡ることが出来ます。接合する部分はこんな感じ。

この日はお世話になった人たちに最後に挨拶をして、テントを片付けて次の日の早朝出発するフェリーに備えます。片付けを早朝にやりたくなかったため、この日の夜はキャンプ場のベンチで過ごしました。久米島に到着したばっかりのときは風が冷たくて寒かったのですが、だんだんとあたたかくなり天気もよく久米島最後の夜は夜空の下で寝袋だけでも十分な気温でした。

次の日、港に向かいフェリーに乗り込みました。

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[ 2011/03/31 18:13 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(0)

久米島紬、ユイマールの人々

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織る作業は1人でもできますが、糸の巻き取りや砧打ち(仕上げに砧で布を叩く作業)などは何人かでやらなくてはできません。みんなの協力があっての久米島紬です。

久米島紬ユイマール館では、ベテラン、若手と幅広く織り子さんたちが集まり、各々自分の織り機で持ち前の布を織ったり、皆で共同作業をしたりしています。

沖縄に来る前は「ユイマール」という言葉は聞いたことが無かったのですが、沖縄ではよく目にする言葉です。「ユイマール」とは「結いまわる」という意味で「結」とは「もやい」とも言い相互扶助、支え合いを目的とした人の集まりを指します。久米島紬に携わる人々をみていると、このユイマールという言葉がよく似合う人たちだなと思います。

そもそも織物で生計を立てることは難しく、稼ぎはほんの僅かなものです。
「織物始めたのは娘に着物を織ってやりたくて。ここに来ているのも半分ボランティアみたいなものよ。」
作業場で仲良くしてくれたおばさんはそう話してくれました。

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ユイマール館は実は久米島に数カ所あり、観光客向けに開放されているのは真謝のユイマール館。写真は比嘉にあるユイマール館。ユイマール館=共同作業場のことで、ここに地元の人々が集まって組合に納めるもの、自分たちで使うものを織っています。糸はみんなで協力してまとめて染めるようです。

1、2月の時期はサトウキビの収穫の時期で、皆さん収穫の手伝いにいっていて出払っています。サトウキビ畑の中にも「ユイマール」が息づいているのですね。

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[ 2011/03/31 15:00 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(0)

上江洲家(国指定重要無形文化財)

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久米島には国の重要文化財に指定されている「上江洲家」という建物があります。上江洲家は具志川城主の末裔で、代々地頭を勤めてきた家系です。久米島紬の製法を島の人々に普及させ、家内工業からマニュファクチュアへ、技術指導、実験を率先して行っていました。さらには貧民の救済、国王への献納など数々の善行が知られています。

1754年に建てられ、古い琉球家屋を知る上で貴重な文化財であります。

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こうして赤瓦の沖縄の家屋を詳しくみるのは初めてで、お話をしてくれた管理人のおばさんにあれこれ尋ねながら、沖縄の家の特徴を教わりました。
例えば、この軒先を支える柱。これ埋まっているものではなく、石の上に乗っかってるだけなんですって。そのほうがかえって長持ちするのだろうか。

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屋根の裏ってこうなってたのね。

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この屋敷の屋根にはシーサーはありません。
というのも、実は屋根や玄関にシーサーを飾るようになったのは明治以降に庶民にも瓦葺きが許されてからの話。それまでは神社などの神聖な場所に狛犬のようなかたちであるのがほとんどだったそうです。この屋敷は士族の家系として古くから瓦葺きが許されてきたのでしょう。シーサーが屋根に乗る前の赤瓦の建物です。

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以下、ぐるっと回った様子を紹介していきます。

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[ 2011/03/31 01:10 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(0)

新作発表会の後の交流会

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2月6日、「久米島紬の日」にて行われた久米島紬帯新作発表会の後、参加者が一堂に会し団らんを楽しみました。島でも普段着物を着る機会がないため、こうして皆で着物をきて集まるということは滅多にありません。こころなしか皆さんの表情も晴れやかで、久米島紬を通して分け隔てなくお話しできるということはとても素晴らしいことだと思います。

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普段はユイマール館で普段着姿で作業をしている織り子さんたちも、この日は紬を着てびしっと決めています。この日のために琉球舞踊を練習してきたそうで、紬を着て扇子片手に踊る皆さんはまるで別人のよう。

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そして見るほうももちろん着物。偉い人、島のおばちゃん、紬を愛する人々という点ではみんな同じです。

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[ 2011/03/30 15:58 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(0)

「久米島紬の日」久米島紬帯新作発表会

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2月6日、久米島紬の帯の新作発表会がイーフビーチホテルのプールサイドにて行われました。2月6日を「久米島紬の日」と町で制定し、昨年は着物の新作発表会が行われました。

島の織り子さんたちが東京の着物の先生の指導のもと、思い思いの帯を制作しました。新作発表会には久米島紬を着た島の人々がこぞって参加し、数百人ほどの人が集まりました。

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あまりお目にかかれない着物姿に観光客、島民もこぞって撮影していました。

新作発表会の様子を紹介していきます。

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[ 2011/03/30 04:39 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(2)

久米島桜まつり

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2月5日、久米島桜まつりに参加してきました。
かねてから久米島紬ユイマール館に通っていて、施設の方々に「桜まつりで着付け体験できるからやってきなよ。」と薦められていたので、参加を申し込んだところ、いろいろ話をしているうちに組合のスタッフとして祭りに参加させてもらえることになりました!

朝、組合の理事長さんに会場まで連れて行っていただいて、会場の設営を手伝うことに。会場は小高い丘のうえにあり強風が吹き抜けるためテントの設営にみなで四苦八苦。

自分はブルーシート、テントの設営、ステージの設営、荷物運びを手伝いました。

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結局もろに風を受ける場所はテントを傾けて設置しました。
開会の時間が近づいていくに連れてだんだん人がおおくなってきました。

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会に先立って、桜の植樹が行われました。
桜まつりということでピンクのジャンパーを来た役員の方々が若々しく見えます。

以後、祭り、着付け体験の様子。

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[ 2011/03/28 08:58 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(0)

久米島紬、泥染の泥を求めて

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宇江城城跡への道の帰り道、じつはこの日、城跡とは別にもう一つの目的がありました。それは久米島紬で用いられる「泥」が採取されるという池を見に行くこと。

どんな池で、どんな場所にあるのか。「阿嘉という地域にあるよ」との情報だけを頼りに探してみることにしました。宇江城城跡を訪れた後、来た道を戻り阿嘉という地域を目指しました。

しかし、どうやら「上阿嘉」と「下阿嘉」があるらしく、集落の人に聞こうにも人になかなか出会わずどちらにあるのか、そしてその何処にあるのか、辺りをうろうろしてました。
下阿嘉にてようやく人と出会い、その人に訪ねてみると、どうもこちら側ではない様子。上阿嘉を目指すために上り坂を数百メートル。

上阿嘉について集落をぐるっと散策。しかしそれらしいものが見当たらず困っていると、庭に出てきたおばあさんを発見。すぐさま、ここにきた経緯を話すと、親切に泥池の在処を教えて下さいました。

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[ 2011/03/27 23:23 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(0)

久米島を見下ろして

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久米島ってどんな島か。
島を一望できるビューポイント「宇江城城跡」へ行ってみました。
宇江城城跡は島の最高峰、宇江城岳の頂上に位置し、1510年頃尚真王の王府軍の攻撃を受け、火攻めに遭って落城したと伝えられています。今ではその地形と石垣を留めるのみですが、せっかく久米島に来たので登ってみることにしました。

山の頂上が平たくなっているところが城跡です。


大きな地図で見る



キャンプ場からのルートはこんな感じ。
久米島は海から山が頭を出しているような地形で、宇江城城跡までは終始上り坂となっております。
途中途中の様子も紹介しながらみていきたいとおもいます。

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[ 2011/03/24 11:25 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(0)

久米島紬の絣について

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久米島紬の絣は柄が豊富です。絣というのは布に後から絵をつける捺染(なっせん・プリント、友禅など)とは違い、糸の段階で色を染め分け、織りながら文様をつくっていく技法です。絣の起源はインドとされ、イカットの名で世界中に広がりました。沖縄に絣の技法が伝わったのは14世紀ごろとされ、久米島は琉球王国と大陸諸国の貿易の中継地であったため、他の島よりもいち早く絣が入ってきたと推測されます。

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絣は緯糸のみ、経糸のみ、経緯両方のものと分類できます。
織り機の構造上、経糸はロール状にしてセットされるのでそのままでは絣のズレを修正することが難しく、そのためひと手間加える必要があります。

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それがこの道具。
絣を施した経糸は無地の糸と別にして、この道具に括りつけておきます。そしてある程度織りが進んでいったら、経糸のロールから糸を出していくとともに、また道具から解いて絣の糸を図案通りになるよう、再び括りつけます。

・・・文章じゃなかなかイメージしにくいですね苦笑
要するに、経糸の絣をずれないように織っていくためには、こまめに調整していかなくてはいけないのです。

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[ 2011/03/21 18:38 ] 久米島紬 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

shoji

Author:shoji
名古屋の学生です。
今年度は日本の伝統産業を巡る旅に出てます。
旅先で見たこと体験したことを日々綴っていきます。

※すでに旅は終了しています。

mail:cus-show at hotmail.co.jp



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