shojiの伝統産業を巡る旅

名古屋の学生、shojiが各地の伝統産業を徘徊してます。

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沖縄の原風景、竹富島①

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海に囲まれた小さな島、竹富。

八重山地方の玄関口、石垣島から程近く、日帰りで訪れる観光客も多いです。

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島の集落全体が重要伝統的建造物群保存地区にしていされており、赤瓦の平屋建て、石垣、道は舗装せず白砂であることが義務づけられています。

景観保全に徹底しており、沖縄の原風景がなるべくそのままに残されています。
道の白砂は島民たちによって浜辺から運ばれ、毎朝島民のみんなでホウキでならされ、明朝の「サッサッ」という音は島の風物詩となっています。

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竹富島にはハブがいて、集落に現れては島民たちを怖がらせていました。白砂はハブが目立ち、這った跡がわかりやすいため撒かれていたそうです。毎朝ホウキでならす理由も納得です。

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集落は赤瓦ばかり。もちろん人が住んでいるので道に車も走ります。

沖縄の原風景が残る竹富島の風景を見ていきましょう。

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[ 2011/05/08 00:15 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)

竹富島の織物、内盛スミさんを訪ねて

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八重山ミンサーという名でこうした「いつよ(五つ四)」の絣が入れられた帯をよく目にします。

八重山ミンサーというのは八重山地方のミンサーの総称で、本来は各島々にそれぞれのミンサーが伝わっています。
中でも、八重山ミンサーとして定番となっている「いつよ」、「ヤッサミ」が織り込まれたミンサーは竹富ミンサーがルーツと言われています。

竹富島ではかつて生活の中に機織りが根付いており、集落には機の音がいたるところで聞かれました。しかし戦争がやってくると、生き延びるために、地機(じばた・地面に座って織るタイプの昔の織り機)から一本一本薪にくべながら生活していたそうです。だれも再び機織りができるとは思っておらず、こうして島の地機の大半は無くなってしまいました。

昭和30年代末になるとミンサーを織る技術を持っているのは島に亀井カンツさん一人となってしまいました。後継者が憂慮されてされていたころ「これをなくしてはならない。」と復興のに向け再び歩みだします。

琉球政府の補助を得て、昭和37年に第一回のミンサー講習会が開かれます。多くの織り手が養成され、竹富のミンサーは復興を果たします。そして那覇や石垣に商品を卸すようになり、産業としての竹富ミンサー、織物が始まりました。

しかしその後、どの織物業界も直面する、海外製品の流入や安い大量生産の製品との競合の中で、仕事のわりに換金性の悪い手織物は徐々に従事者を減らし、今では竹富島で織物に従事する人は数名となってしまいました。

くしくも事情や環境は違えど、現在の竹富のミンサー、織物は昭和30年代の状態に戻ってしまいました。

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八重山ミンサーのルーツがある竹富島。現在置かれている状況は大変厳しいものとなっているようです。
竹富島に到着し、まず島の貴重な織り手、内盛スミさんのもとを訪ねました。

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[ 2011/05/04 15:01 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)

竹富島へ

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足早に石垣島を離れ、竹富島にやってまいりました。
といっても竹富島は石垣島から程近く、30分おきに高速船が出ており片道10分あまりで着いてしまいます。

ここ竹富島は町全体が重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、石垣に白砂の道、赤煉瓦の平屋が連なる沖縄の原風景が残る場所です。竹富島は周囲9.2キロほどの小さな島で人口は300人程。ここはかつて八重山地方の中心地があり、八重山ミンサーのルーツは竹富島にあるそうです。

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竹富島には「種子取祭」という祭りがあり、その祭りではこうした衣装をまとった人々が伝統舞踊を神々に奉納します。

種子取祭とは?
祓い清めた土地に種子(稲や粟)を蒔き始める祭りで、毎年、旧暦9月の庚寅(かのえとら)、辛卯(かのとう)の2日間を中心に世持御嶽で狂言や舞踊など80余りの伝統芸能、棒術・太鼓・マミドーマ・ジッチュ・棒などの庭の芸能と弥勒・しきた盆・ザンクルロ・鍛冶工主・種子蒔狂言など舞台芸能が神々に奉納される。(竹富町HPより)


島の由緒ある一大イベントで、この日ばかりは大勢の観光客、帰省する人々でごった返すそうです。

自分が竹富島を訪れたのは2月の中旬で、このころは島にとってはオフシーズン。夏には石垣島から近いこともあって観光客で賑わうそうで、比較的静かに島を楽しむことが出来ました。

ここから数日間、竹富島での生活が始まります。

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[ 2011/05/03 16:44 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)

石垣島でのひととき

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八重山地方の玄関口石垣島。
旅の日にちも残り僅かとなって石垣島は早々に発たなければなりませんでした。

ふと実家の母親に「今石垣島にいるよ」と連絡したところ、石垣島に知人がいることを聞き訪ねてみることにしました。「十五番地」というハム屋だという情報をたよりに石垣の街をレンタカーで走っていると、なにやらそれらしきお店を発見。

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日本最南のハム屋「十五番地」の平野さん夫婦。母親の知人で自分は初対面でしたが、それはそれは手厚く迎え入れて下さり、突然の訪問にも関わらずその日の晩ご飯、宿まで面倒みていただきました。ものすごくお世話になり感謝の気持ちでいっぱいです。

平野さんたちは愛知県から石垣島に移住してきました。平野さんたちが石垣にやってきたときも飲めや歌えやの大宴会だったそうです。「沖縄はそういう場所。自分たちがやってもらったように、今度は自分たちがもてなす番。」こうやって繋がっていく縁。しかと自分も受け取りました。

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石垣島はそれほど長くはいられず、次の目的地、竹富島を目指します。といっても石垣島から竹富島は航行時間は10分程度。30分おきに毎日船が出ています。お世話になった平野さんと一旦わかれ、石垣→竹富島→与那国島のあとで再び会う約束をしました。

しばし石垣島とはおさらば。平野さんありがとう。
餞別にいただいた十五番地のソーセージを携えて、いざ竹富島に向かいます。

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[ 2011/05/03 03:34 ] 旅日記 | TB(0) | CM(0)

あざみ屋、みんさー工芸館②

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あざみ屋は昭和46年、新哲次、絹枝夫妻によって設立されました。
「あとから始める私は、人とちがうことをしなくてはならない。」(ミンサー全書より引用)
この言葉にもあるように、伝統の世界にいながら常に新しいことに挑戦する姿勢が感じ取れます。

『ミンサー全書』(南山舎)によると、新絹枝さんは東京で洋裁を学んだ後、石垣島へ帰って洋裁店を始めます。生まれは竹富島で、竹富の義母がもってきたミンサーフとそれに込められた想いの世界に触れて、島のために働くことを決意されます。洋裁が得意であった新絹枝さんは伝統的なミンサーのエッセンスを受け継ぎ、鞄や財布などにミンサー、「いつよ」を展開していきます。

あざみ屋にはそんな背景があるからか、商品をみても「ハイカラ」な印象を受けます。”伝統産業”という凝り固まったイメージにとらわれない自由な商品展開がみられます。

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[ 2011/05/02 16:41 ] 石垣島 | TB(0) | CM(0)

あざみ屋、みんさー工芸館①

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石垣島の登野城にある「みんさー工芸館」は八重山地方の特産である「八重山ミンサー」を数多く展示、販売しており、八重山ミンサーの観光拠点となっています。

ミンサーというのは通説では「ミン」は「綿」、「サー」は「狭」、綿に細い(狭い)もの、つまり綿の細い帯状のものと解釈されています。そしてこのミンサーがこれほど有名になったのはミンサーの「いつよ(五つ四)」のマークがあらゆるものに取り入れられ展開されたことが理由に挙げられます。

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「いつよ(五つ四)」のマークとはこのように五つと四つの星が隣り合って並んでいるもので、「いつ(五つ)の世(四)までも末永く」という意味が込められているといいます。
このミンサーは婚約成立の証として女性から男性へ贈られました。お互いにぴったりと重なり合う五つと四つの模様は夫婦の仲睦まじさを意味し、帯の両端にある白と紺が交互に繰り返される模様は「ヤシラミ(ムカデの足)」に例えられ、当時は通い婚の風習がありましたから「足しげく通って下さい」という意味が込められています。

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また、「いつよ」の両端の2本の白線は夫婦のいつまでも続く真心を表し、これらの模様が繰り返して続く様はいつまでも一緒に、藍を重ねて染めることは「愛を重ねて」など、数多くの謂れがあります。島によっては「いつよ」ではなく二本の絣がずれて隣り合う「夫婦絣」のものもあります。

ミンサーに込められた意味の起源が古いものなのか後からつけられたものなのかはわかりませんが、八重山地方の精神を象徴する大切なものであることにはかわりありません。

八重山ミンサー、「いつよ」がどのように伝承、展開されているのか見ていきましょう。

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[ 2011/05/01 19:55 ] 石垣島 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

shoji

Author:shoji
名古屋の学生です。
今年度は日本の伝統産業を巡る旅に出てます。
旅先で見たこと体験したことを日々綴っていきます。

※すでに旅は終了しています。

mail:cus-show at hotmail.co.jp



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