shojiの伝統産業を巡る旅

名古屋の学生、shojiが各地の伝統産業を徘徊してます。

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和紙用具職人、山本忠義さん②

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和紙用具職人、山本忠義さんにお話を伺いにいきました。

81歳になられる山本さん。
昨年、「業務に精励し衆民の模範である方」に捧げられる黄綬褒章を国から授与されました。
高齢にも関わらず、年がら年中、朝から晩まで働いてらっしゃいます。
和紙用具を作る仕事を始めたのは18、9歳のとき。
山本さんのお父さんも和紙用具職人で、自然と家業を継ぐ形でこの道に入ったそうです。

「わしは戦時中、志願兵だった。第一回の自衛隊の募集のときに行きたかったけど、親父に「やめぃ行くな!仕事せぇ!」と言われて必然的にやるようになった。」


当時は家業を継ぐのが当たり前。山本さんもそうして簀桁を作るようになりました。
家内工業といえど、世の中がまだ徒弟制度が普通で、親父さんに怒られながら修行したそうです。

「わしはへたくそだったから、親父に怒られて怒られて、、、ボロクソに怒られた。」

「わしは上手くはない。普通やき。人間がやるから同じ寸法のものを作っても何かが違う。十人十色でそれでいい。100%のものを作る必要は無い、多少欠点があるくらいが丁度いい。完璧なもん作るんは人間やない、神様のすることや。」


この言葉はちょっと意外でした。
道具をつくる職人は完璧主義なのだろうと思っていたからです。
しかし、よくよく考えてみると完璧な道具じゃないと作れないものは長続きしないのだと思うと確かに。手仕事の現場では身の回りのもので道具をこしらえることが多いです。そういった道具でできるモノづくりだからこそ、何百年も続いているのですね。

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山本さんのお宅があるのは高岡町という地域で、昔はこうした簀桁をつくっているところが10軒ばかりあったそうです。

「原料、道具づくり、力仕事は旦那の仕事、紙を漉くのは女房の仕事。」

当時をそう語られます。
家内工業が主流の手漉き和紙の世界では、そうやって家の中で分担作業が営まれていたそうです。
和紙の世界に女性が多いのもそういった背景があるのでしょう。

基本的に和紙は農閑期の収入源でした。
当然、今みたいに8時間労働などの決まりは無く、朝の4時頃から晩の5時頃まで毎日働くのが普通でした。

「わしも27、8歳ぐらいまでは夜の9時までやっとった。今は朝の6時半から晩の5時まで。昼飯食ったらすぐに仕事場にくる。」

「年がら年中働いとる。仕事してると落ち着く。本当は365日仕事したいんだけど、女房に怒られるから大晦日と正月の2日まで休んで3日から仕事を始める。仕事が好きというより、何かの欲に取り憑かれとる感じ、趣味じゃないわな。ようやりよるわと自分でも思う。」


とても81歳になるお方の言葉とは思えませんね。
本人曰く「81歳になった自覚が無い。体力の衰え、物忘れはあるけども。」と、職人は本当に元気だよなぁと常々思います。

山本さんのもとには全国から注文が来ます。かつては産地に必ず簀桁をつくる人がいたそうですが、手漉き和紙の衰退、用具職人の高齢化でほとんどいなくなり、山本さんを頼ってくるそうです。

「今でもういっぱいいっぱい。宣伝でもしようもんなら仕事が来すぎて困る。今も仕事は溜まってるからね。全国からありとあらゆる注文が来る。」


自分の出身は愛知県なのですが、山本さんが「以前名古屋の大学から注文受けたことある。」と言われて、よくよく聞いてみると、自分の通う大学でした。
しかも「愛知県にも実際に紙漉の関係で行ったことがある。確か・・・」なんと自分の出身地の町の名前!

高知県でまさか地元の話になるとは。世の中は狭いもんです。

に続きます。
③では山本さんが抱える不満についてです。
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[ 2010/11/26 21:06 ] 土佐和紙 | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

shoji

Author:shoji
名古屋の学生です。
今年度は日本の伝統産業を巡る旅に出てます。
旅先で見たこと体験したことを日々綴っていきます。

※すでに旅は終了しています。

mail:cus-show at hotmail.co.jp



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