shojiの伝統産業を巡る旅

名古屋の学生、shojiが各地の伝統産業を徘徊してます。

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伝統のはたらき

以前に、伝統についてまとめたのに続いて、今回は実際にどのように伝統が働いているのか紹介します。

たとえば、天然染料。
天然染料では藍が有名ですが、茜、紅花、紫根、鬱金、コチニール、紫貝・・・といろんな動植物が用いられます。

これらが長い年月を経るうちに、身の回りにあって美しい色がだせる染料が選ばれてきました。そして面白いことに、それらの色は組み合わせてもきれいで、豊かな色彩群をつくっています。

ちょっとここで、読んだ本に出てきた文章を紹介します。

スイスのバーゼル民族博物館長Dr.ヴューラーはこの現象を面白く表現している。つまり「天然染料による彼らの織物をみて彼らの色感が良いと思っていたのは間違いで、そんな染料しかもっていなかったにすぎない。その証拠に化学染料が入ってくると同時にお祭りのような派手やかな色を使っているではないか」と。小笠原小枝著「染と織の鑑賞基礎知識」より

化学染料の登場により、染料は自由自在な色を手に入れました。
しかし、自由自在になった反面、染め手に高度な色感が求められるようになりました。引用文にもあるように、もともと天然染料を用いてきた染め手には芸術家のような高度な色感はありません。それでも奥深く、渋くも美しい色が出せるのは、その土地にその染料、布、技術があったから。

しかも、天然染料の染色方法はただ煮出した染色液に布を浸ければ良いというわけではなく、媒染剤というものが必要です。

(『媒染剤』鉄、アルミニウム、クロム、銅など金属媒染剤、豆汁(大豆の煮汁)などの有機媒染剤、珪酸、硫黄などの鉱物性媒染剤などがある。原理は染料の中に含まれる特定の色素を媒染剤の中に含まれる物質(イオンやタンパク質)が引き寄せて繊維に吸着させる。今では化学薬品が用いられるが、古くには木灰や草花の灰などの灰汁から金属イオンを含む媒染剤を得ていました。)


複雑な染色方法にも関わらず、染め手は科学的な知識を持たずして、布を染めることができました。それは昔からその土地に伝わる染色方法、この植物の灰汁をいれるとこの染料が染まる、といった彼らなりのノウハウ、つまり「伝統」があったからなのです。

逆に、そういったノウハウを無しに、一から染色方法を学ぼうとすると、高度な学習が必要になります。もちろんそれに対する対価も払わなければなりません。そうなると専門性が増して限られた人々のためのものになってしまい、コスト高にも繋がってしまいます。


以前、伝統とは「人材育成のシステム」との考えを述べました。
その土地に「伝統」があるから、高度な学習を経なくても、高度な芸術的センスがなくても、他に真似のできない優れたものづくりが可能になのです。

(ここでいう人材の能力とは、オールマイティなものではなく、特定のものづくりの実践に深く根ざしたものです。伝統は理論や学術的な能力を育てるものではありません。あくまでその土地で生きていくのに必要な実践的能力を育てるものです。両者に優劣があるわけではなく、社会的分業の姿なのだと思います。)


誰でも鍛錬さえすれば素晴らしいものがつくれ、しかも大掛かりな機械を必要とせず、身の回りのもので出来る。更に、そうしたものづくりの中の、材料の収穫など原始的な作業に、一般人でも参加できるところも魅力です。
先端産業になればなるほど専門性を必要とし、こうした参加は難しくなります。それは賃金高を招くだけでなく、生産者と消費者を切り離すことにもなりかねません。

先ほどの天然染料の例のように、伝統は不自由の中でこそ輝くものです。
技術の発展により、自由に色や形がつくられるようになりました。プラスチックや化学染料、合成樹脂塗装などが登場した頃には、限られたものしかない伝統の世界では、殊更、自由自在に色や形をつくる様を羨ましく見てきたことと思います。

しかし、いざ自由自在な色や形を手に入れると、伝統の庇護の下から離れ、ライバルの多いグローバルなフィールドに立つことになります。もともとオールマイティな能力を備えてなかった作り手は競争力を失い、庶民の手には均一化されたものが出回ります。そして産業への求心力は薄らぎ、衰退していきます。

伝統は不自由の中をたくましく生きていくためのシステムであり、自由は時として自らの首を締めることにもなりかねないのです。現代においては簡単に色や形を変えることができますが、今一度、表面的な自由、不自由にとらわれず、昔ながらの伝統を信じ、そして次世代のために伝統を繋いでいくことが大切です。

伝統の持つ優れた機能を発揮するには、伝統を慎重に扱わなければいけないご時世となりました。社会の風潮は、個性を求め過ぎ、自由で個性的な芸術を歓迎して、不自由、無個性の伝統を粗末にしているように思います。
伝統の持つ良さをきちんとアピールしつつ、バランスを保つ立場の重要性が増してきています。
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[ 2011/01/10 10:30 ] 伝統産業について | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

shoji

Author:shoji
名古屋の学生です。
今年度は日本の伝統産業を巡る旅に出てます。
旅先で見たこと体験したことを日々綴っていきます。

※すでに旅は終了しています。

mail:cus-show at hotmail.co.jp



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