首里織について。
首里織とはその名の通り、首里で栄えた織物。首里は琉球王朝時代の城下町であったため、首里の士族や上流階級のために格調の高い織物が発展しました。第二次世界大戦で一度は途絶えたものの、復興し、現在でも精巧な織物が受け継がれています。
写真は手花(てぃばな)といわれる技法で織られたもの。
現在の首里織の特徴は、かつての繁栄を物語るように、用いられる技法が多いことです。
続きを読むで各技法を紹介していきます。
以下画像は那覇伝統織物事業協同組合パンフレットから
花倉織
沖縄織物のなかで最も格式高い織物とされる。王女の夏衣で、花織と風通しの良い絽織(布にメッシュをつくる技法)が施される。
首里道屯織(しゅりろーとんおり)
部分的に浮き糸を使い、光沢感のある縦筋を出すのが特徴。男物官衣として使用された。
首里花織
経浮花織、緯浮花織、両面浮花織、手花織の4つの技法が用いられる。(写真は緯浮と思われる)士族以上の着衣として用いられた。
首里絣、手縞
「巾小結(ハバグヮーユイ)」と呼ばれる首里独特の「手結」の技法で、絣の原形とも言われている(申し訳ないですが巾小結がなんなのかはっきりとはわかりません^^;)
首里ミンサー
首里の木綿の帯。ミンは綿、サーは狭(細幅の帯)のこと
花織手巾(てぃさーじ)
昔は旅のお守りとして女性から男性へ贈られた。あらゆる技法をふんだんに用いて各々の手巾を織っていた。
これらの技法を駆使して様々な織物が織られていました。
これに加え、かつては煮綛芭蕉布(にーがしーばしょうふ)という芭蕉の良いところだけを用いて鮮やかな色で染めた芭蕉布の最高峰である布も織られておりましたが、首里のものはほぼ途絶えてしまいました。再現のために首里でも芭蕉布に挑戦したそうですが、当時と同等程のものは作れなかったそうです。芭蕉布は専門の技術が必要であり、大変難しい織物です。
以下、さまざまな首里織の写真です。
実にさまざまな織物が存在します。ここにない技法のものも、かつては織られていたかもしれません。
やはり戦争で首里が壊滅的な被害にあったことが悔やまれます。
そして一度途絶えてしまったものを再びよみがえらせた首里の人々の努力にただただ賛辞をおくりたいです。
沖縄の織物は厳しい歴史の中でもたくましくあった人々の物語でもあります。もう二度と絶えることのないよう、周りの人々でもり立てていただきたいですね。
沖縄の銀細工と首里織。
織物で生計を立てるというのは大変難しいことです。実際に月給でいったら重労働にも関わらず二桁いかないことがほとんど。生産者は織るので精一杯ですから、あれもこれもはできません。地域の助け合いをもって、どうしたら首里織を繋いでいけるか、いっそうの努力を期待しています。
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