shojiの伝統産業を巡る旅

名古屋の学生、shojiが各地の伝統産業を徘徊してます。

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宮古上布の歩み

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膨大な労力と時間を掛けられて生まれる宮古上布。

今では年間20数反しか生産されない宮古上布ですが、明治から昭和に掛けて年間1万反、最盛期には1万8000反も生産されました。御用布から貢納布、輸出商品、文化財・・・時代によって宮古上布の役割も変わってきました。

今の宮古上布を知るうえでも、その起こり、歩みは知っておいたほうがわかりやすくなるので紹介したいと思います。

宮古上布のはじまり


宮古上布のはじまりと言われる「綾錆布」(あやさびふ)にはこんなエピソードがあります。
16世紀、下地親雲上真栄(しもじぺーちんしんえい)という者が、公用で琉球王国に向かった際に、逆風にあい中国に漂着してしまった。当時中国と琉球王府は交易があり、琉球へ帰る進貢船に乗って帰国することになりました。
しかし、この進貢船も途中、舵の綱が切れてしまうというアクシデントに見舞われます。そのとき、素潜りの得意な真栄が海中に潜って舵の綱を結び直して、無事進貢船は帰国することが出来ました。
このことが国王に報告され、真栄は下地の頭職(かしらしょく)に任命されました。それからというもの真栄は毎年国王に捧げものを贈り、妻である稲石(いないし)が綾錆布を織って献上し、その功績が認められ真栄は親雲上の位に就けたというお話です。その後、この宮古の織物が王府に知られるようになり、御用布として調えられるようになりました。

貢納布としての宮古上布

宮古島は珊瑚礁が隆起した島で、山がない平坦な島です。山が無いということは川が無い、農業には適さない島となります。税のための農作物は乏しく、代わりとして女性は貢納布として主に上布(細糸の麻織物)を納めることが義務づけられました。
貢納布の品質が悪いと頭職(島の役人のリーダー)が免職されるほどで、徹底した品質管理がなされました。このことから、厳しい検査を通るために細い糸を績む技術も発達し、御絵図(みえず・王府から指定される図柄の見本)通りに正確に織っていくようになりました。このときは今のように濃紺一色のものだけではなく、赤茶系、薄い藍色など現在より多色な宮古上布が織られていたとされています。

薩摩上布

1609年、江戸時代に薩摩藩が琉球に侵攻しました。それ以後琉球王国は薩摩藩の実質的支配下に置かれました。
その後琉球は年貢として米、芭蕉布、琉球上布、琉球下布、むしろ、牛革などを納めることと定められました。このとき紺地の宮古上布が「薩摩上布」として江戸や京都に広まりました。

商品としての宮古上布<戦前>


1903年(明治36年)、ながらく島民を苦しめてきた人頭税が廃止され、税としての宮古上布から商品としての宮古上布へと歩み出しました。織り機の改良、奄美大島から機締めの技法を導入し、生産方法も効率化が図られました。明治、大正、昭和初期と自由販売がなされ、以前の「薩摩上布」から「宮古上布」と名を改め売り出されるようになりました。
高品質を保持し、夏の最高級織物として高い評価を受けていました。1918年(大正7年)当時の値段で一反300円で、高給取りのバスガールの初任給でさえ当時35円ですからかなり高額だったことがうかがえます。
明治から昭和にかけて年間1万反、ピークには1万8000反も生産されました。その間、ほとんどは県外輸出を目的として生産され、図柄の注文も本土側の問屋が行っていました。その頃は織り手となる女子が2、3人いれば家が建つと言われる程の盛況ぶり。しかし、織った宮古上布はほとんどが商品として県外に輸出されたため、島に宮古上布が残らず、地元で身につけることも少なかったそうです。


商品としての宮古上布<戦後>


宮古島は1937年(昭和12年)の日中戦争、1941年(昭和16年)の太平洋戦争を経験し、その間、台湾苧麻の移入禁止、1943年の奢侈禁止令によって高級品である宮古上布を製造することが難しくなりました。その中でもなんとか織り続けられましたが、戦争が激化し組合の建物がとりあげられると、戦後1946年まで織ることが出来ませんでした。
それから戦後の復興がはじまり、組合の再建、戦前宮古上布携わっていた人々の努力により、1972年の本土復帰まで年平均1000反の生産規模を保ち続けました。しかしその後、技術者の高齢化、洋装化によって生産量は減少。1980年代には300反ほど、現在では20数反ばかりの生産となってしまいました。

そんな中でも、保存に向け、1978年、宮古上布は国の重要無形文化財に、さらに2003年には苧麻績みの技術が、選定保存技術に指定されました。分業制を敷く宮古上布で、各工程ごとに後継者が必要となり、世代交代ごとに存続の危機を迎えていますが、それでも年々人は集まってきています。



こんな感じで宮古上布は今に至るわけです。織り手に関しては後継者は十分にいるようですが、宮古上布は分業制のため他の工程の職人が掛けてしまうと成立しなくなってしまいます。こちらの記事ではその様子が詳しく記されています。

宮古上布を見る上で、予備知識でこんなことを知っておくとまた見方が変わるかも知れません。
以上に書かれていることは「宮古上布~その手技~(平成21年度ふるさと文化再興事業)」という資料を参考に書きました。宮古上布に興味がある方は現地に行ったら自分用に購入してみては。一冊500円で薄い冊子なのでお手頃です。
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[ 2011/04/10 12:10 ] 宮古上布 | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

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Author:shoji
名古屋の学生です。
今年度は日本の伝統産業を巡る旅に出てます。
旅先で見たこと体験したことを日々綴っていきます。

※すでに旅は終了しています。

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