shojiの伝統産業を巡る旅

名古屋の学生、shojiが各地の伝統産業を徘徊してます。

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小浜島の織物、小浜民俗資料館

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小浜島の中央にある集落に「小浜民俗資料館」はあり、ちょっとこじんまりした部屋の中に古くからの民具、織り機、小浜島の織物に関する資料が多数収蔵されています。

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小浜島に織物もあるの?と思われる方もいるかもしれませんが、小浜島の織物は”産業”としてではなく”文化”として根付いており、今も尚、島の人々によって織られています。

小浜島の織物について小浜民俗資料館のおばさんの話をもとに紹介していきます。
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”産業”としてではなく”文化”として、とは?

小浜島には3つの大きな祭りがあり、お盆に行われる「豊年祭」、旧暦の8~9月の「結願祭」、旧暦の9~10月に行われる「種子取祭」があり、それぞれ国指定の文化財に指定されています。これらの祭りは伝統を忠実に受け継ぐため、島に伝わる伝統衣装を着なくては参加することができません。

よって自分たちが着る分は、自分たちで織らなければなりません。こうして小浜の織物は受け継がれているのです。
但し、これらの織物は商用目的ではないため、島外に出ることはありません。なので小浜の織物は工芸品として世に発信されることもありません。

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この柄は竹富島でも見ました。「この柄を何と呼ぶか?」と尋ねたところ「グマノナリ」と読んでいるそうです。「グマノナリ」とは「ゴマの木のなり」という意味で、織り込まれた絣の模様がゴマの木に似ていることからそう呼んでいるそうです。

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もちろん小浜島のミンサーもあります。八重山ミンサーの起源は実際のところよくわかっておらず、現在の八重山ミンサーのルーツは竹富島だという説もありますが、こう島々にそれぞれのミンサーがあると、どこがルーツなのかはわかりませんよね。

これはミンサー柄のテーブルセンター(?)ですが、「五つ四」の両脇のラインが少し変わっています。

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小浜の藍は「インド藍」と呼ばれているタイワンコマツナギ、ナンバンコマツナギという、小さなサヤをいくつもつけるマメ科の植物です。
色は、琉球藍が何度も染めるうちに赤みを帯びてくるのに対して、小浜の藍は濃いブルーになっていきます。強いて言えば素朴な色合いに感じます。

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祭りに使われる濃紺色の衣装は、見方によっては黒にも見えるほど。昔は法事に濃紺地の服を着たそうです。

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小浜島でも木綿がまだ入ってこなかったころはもちろん芭蕉布が基本でした。これは結構古いものらしいのですが、まったく褪せた印象はなく、むしろ深みのある生成り色になっています。

芭蕉布といえば喜如嘉の芭蕉布が有名ですね。芭蕉布はかつては沖縄全土でもっともポピュラーな織物でしたが、木綿が入り、更に布が工業製品になってくるとたちまち姿を消していきました。喜如嘉に芭蕉布が残ったのは、ヤンバルという沖縄本島北部の奥まった地域であること、そして何より人間国宝である平良敏子さんの努力によって現代にも芭蕉布は生き残りました。

喜如嘉の芭蕉布と八重山の地方の芭蕉布の大きな違いは、糸の績み方にあります。喜如嘉の芭蕉布は繊維を結んでいくことで一本の糸にしていきますが、八重山地方の芭蕉布は撚り合わせていくことで績んでいきます。
従って、喜如嘉の芭蕉布には結び目があり八重山地方のものにはありません。ここで見させてもらった芭蕉布にも結び目はありませんでした。

小浜民俗資料館のおばさんは、かつて平良敏子さんにこう言ったそうです。
「喜如嘉の芭蕉布は素晴らしいけど、この結び目が私たちには肌触りがきになります。」
すると平良敏子さんは、
「これがいいのよ。この結び目が肌に触ると「あぁ芭蕉布を着ているな」って思えるの。」
と答えたそうです。

同じ芭蕉布をとっても地域それぞれの芭蕉布がある。地域にあるものは地域の人たちのためにあるんだなと思いました。

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上布(麻織物)ももちろんあります。
八重山上布とよばれるものは白い苧麻の織物で、絣模様が入れられたものが一般的です。上布と言えば宮古上布が有名ですが、あちらは濃紺、八重山上布は白です。上布はもともと地元の人が着るものではなく上納品であったため、地域ごとに違った上布を納めさせたのではないかと思います。

民俗資料館のおばさんの家では藍と苧麻も栽培し、自分たちが使う分は自分たちで栽培しているとのことです。染め方は科学的な知識ではなく、受け継がれてきた知恵で。時には田んぼの泥をつかうという、久米島のような染め方も島に伝わっているようです。

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この模様もちょっとずつ、つくる人、つかう素材によってだいぶ変わってきますね。
これには紺の縞が加えられています。決まったテンプレートをもとに、いろんな工夫が盛り込まれ新しい柄ができていく、そして自然と皆が求めるものの最大公約数が導き出されまた新しいテンプレートになっていく。

そんな循環を、沖縄の織物を見ているとまさに感じます。

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こちらは珍しい花織です。一見何気ない花織のようですが、よくみてみると「五つ四」になっています。いまでは「いつの世までも末永く」という意味が浸透してきた「五つ四」ですが、これもルーツははっきりとしません。編み出された当初は意味を持たなかったのかもしれませんし、シンプルな柄であるために同じような柄は世界各国で見受けられます。

「五つ四」も遠くの国からやって来た模様かもしれません。ですが、起源はわからなくとも、沖縄の人の感覚が注ぎ込まれ、それが今にも受け継がれてきたことは事実。沖縄の大切な文化です。

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写真は島の織り手さんたち。500人あまりの小さな島にも関わらずこんなにも織り手がいることは現代においては奇跡と言えます。

なぜ小浜島の織物がこうして受け継がれてきて、他地域の織物は人々の生活から消えていったのか。それは、文化財として国が指定したことに加え、先祖を大切にし、地域の文化が色濃く残る沖縄、そして離島という条件から他の地域に起こった変革から遠い場所にいたことが要因だと思います。
こうして小浜島は文化として織物を受け継いでいく道を選びました。人々が当たり前のように織物をし、島のものを活用する知恵が受け継がれています。一方で、手間のかかる織物は仕事をしている若い人には難しく、島外に仕事を求めて出て行ってしまうことから、先行きは安泰ではないようです。

産業としての織物とは対局にある小浜の織物。
「伝統」というものは、なにも商品をつくって売るという方法だけで受け継いでいけるものではありません。問題は抱えていながらも、人々の文化となって根付き、今も島に受け継がれている姿から、伝統を扱う人々はこれに学ぶべきことがあるんじゃないでしょうか。


日帰りの小浜島旅行でしたが、個人的にはインパクトの強い島でした。
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[ 2011/05/17 04:10 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)
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プロフィール

shoji

Author:shoji
名古屋の学生です。
今年度は日本の伝統産業を巡る旅に出てます。
旅先で見たこと体験したことを日々綴っていきます。

※すでに旅は終了しています。

mail:cus-show at hotmail.co.jp



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