shojiの伝統産業を巡る旅

名古屋の学生、shojiが各地の伝統産業を徘徊してます。

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竹富民芸館

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竹富島にある竹富民芸館。
ここには竹富町織物事業協同組合の事務所があり、名の通り竹富島の織物の中心となっているところです。

島の人たちの作業場として使われており、今までにも芭蕉の糸づくり、ミンサーなどの技術継承の場として機能してきました。

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ミンサー、ティサージ、祭事に使う伝統衣装などが展示されています。
織り機が10台ほど並び、多くはないものの今も織物を生産しています。実際の作業風景を見学でき、ここでつくられたおみやげの織物も購入することができます。

個人用を除き、竹富島の織物は概ねここで生産されています。とはいっても工房におられるのは3名。いよいよ従事者が少なくなってしまったようで、ぎりぎりの状態が続いているそうです。産業としての竹富の織物は今後どうなっていくのか。竹富の織物の現状がここに詰まっています。

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[ 2011/05/14 01:08 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)

沖縄の原風景、竹富島②

※竹富島の水牛車の事故が報じられた最中ですが、竹富島の象徴としてこれからも一層の安全を心がけて頑張っていただきたいので、このまま紹介していきたいと思います。

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竹富島の風景続き。

天気がよかったので竹富島を歩いて島めぐりをしてきました。

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竹富島の名物に水牛車があります。
ガイドのおじさんが島のことを説明してくれながら水牛はゆっくりと町を歩き、しめは三線の弾き語りです。

その様子はこちら。



引き続き島の様子を紹介していきます。

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[ 2011/05/09 12:22 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)

沖縄の原風景、竹富島①

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海に囲まれた小さな島、竹富。

八重山地方の玄関口、石垣島から程近く、日帰りで訪れる観光客も多いです。

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島の集落全体が重要伝統的建造物群保存地区にしていされており、赤瓦の平屋建て、石垣、道は舗装せず白砂であることが義務づけられています。

景観保全に徹底しており、沖縄の原風景がなるべくそのままに残されています。
道の白砂は島民たちによって浜辺から運ばれ、毎朝島民のみんなでホウキでならされ、明朝の「サッサッ」という音は島の風物詩となっています。

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竹富島にはハブがいて、集落に現れては島民たちを怖がらせていました。白砂はハブが目立ち、這った跡がわかりやすいため撒かれていたそうです。毎朝ホウキでならす理由も納得です。

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集落は赤瓦ばかり。もちろん人が住んでいるので道に車も走ります。

沖縄の原風景が残る竹富島の風景を見ていきましょう。

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[ 2011/05/08 00:15 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)

竹富島の織物、内盛スミさんを訪ねて

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八重山ミンサーという名でこうした「いつよ(五つ四)」の絣が入れられた帯をよく目にします。

八重山ミンサーというのは八重山地方のミンサーの総称で、本来は各島々にそれぞれのミンサーが伝わっています。
中でも、八重山ミンサーとして定番となっている「いつよ」、「ヤッサミ」が織り込まれたミンサーは竹富ミンサーがルーツと言われています。

竹富島ではかつて生活の中に機織りが根付いており、集落には機の音がいたるところで聞かれました。しかし戦争がやってくると、生き延びるために、地機(じばた・地面に座って織るタイプの昔の織り機)から一本一本薪にくべながら生活していたそうです。だれも再び機織りができるとは思っておらず、こうして島の地機の大半は無くなってしまいました。

昭和30年代末になるとミンサーを織る技術を持っているのは島に亀井カンツさん一人となってしまいました。後継者が憂慮されてされていたころ「これをなくしてはならない。」と復興のに向け再び歩みだします。

琉球政府の補助を得て、昭和37年に第一回のミンサー講習会が開かれます。多くの織り手が養成され、竹富のミンサーは復興を果たします。そして那覇や石垣に商品を卸すようになり、産業としての竹富ミンサー、織物が始まりました。

しかしその後、どの織物業界も直面する、海外製品の流入や安い大量生産の製品との競合の中で、仕事のわりに換金性の悪い手織物は徐々に従事者を減らし、今では竹富島で織物に従事する人は数名となってしまいました。

くしくも事情や環境は違えど、現在の竹富のミンサー、織物は昭和30年代の状態に戻ってしまいました。

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八重山ミンサーのルーツがある竹富島。現在置かれている状況は大変厳しいものとなっているようです。
竹富島に到着し、まず島の貴重な織り手、内盛スミさんのもとを訪ねました。

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[ 2011/05/04 15:01 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)

竹富島へ

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足早に石垣島を離れ、竹富島にやってまいりました。
といっても竹富島は石垣島から程近く、30分おきに高速船が出ており片道10分あまりで着いてしまいます。

ここ竹富島は町全体が重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、石垣に白砂の道、赤煉瓦の平屋が連なる沖縄の原風景が残る場所です。竹富島は周囲9.2キロほどの小さな島で人口は300人程。ここはかつて八重山地方の中心地があり、八重山ミンサーのルーツは竹富島にあるそうです。

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竹富島には「種子取祭」という祭りがあり、その祭りではこうした衣装をまとった人々が伝統舞踊を神々に奉納します。

種子取祭とは?
祓い清めた土地に種子(稲や粟)を蒔き始める祭りで、毎年、旧暦9月の庚寅(かのえとら)、辛卯(かのとう)の2日間を中心に世持御嶽で狂言や舞踊など80余りの伝統芸能、棒術・太鼓・マミドーマ・ジッチュ・棒などの庭の芸能と弥勒・しきた盆・ザンクルロ・鍛冶工主・種子蒔狂言など舞台芸能が神々に奉納される。(竹富町HPより)


島の由緒ある一大イベントで、この日ばかりは大勢の観光客、帰省する人々でごった返すそうです。

自分が竹富島を訪れたのは2月の中旬で、このころは島にとってはオフシーズン。夏には石垣島から近いこともあって観光客で賑わうそうで、比較的静かに島を楽しむことが出来ました。

ここから数日間、竹富島での生活が始まります。

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[ 2011/05/03 16:44 ] 竹富島 | TB(0) | CM(0)
プロフィール

shoji

Author:shoji
名古屋の学生です。
今年度は日本の伝統産業を巡る旅に出てます。
旅先で見たこと体験したことを日々綴っていきます。

※すでに旅は終了しています。

mail:cus-show at hotmail.co.jp



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